1984年の秋
訳も判らぬままにヴィザや国際免許を取得し
親分に言われたスーツやユニフォームトランクに詰めて初めて渡米した時の写真です
。
https://www.saclam.com/todays/todays_saclam/2019/01/doug-peterson01.html
LA到着の翌日
HRAとAHMスタッフさん達の用意してくれたキャンピングカーで
2時間ほどの所にある ウイロ―スプリングスまで移動し
CRXが出走しているクラブレースを観戦
。
AHMがクラブレース好きな友人達にCRXを貸し出していて
その車が走るレースを観戦できるようにアレンジしてくれたのです
。
当時盛んだったショールームストックと言う標準車に近いカテゴリーで
普段使いのCRXにロールケージと5点ベルトを組込み
タイヤ、ダンパー、ブレーキパットまでが交換を許された範囲
登録ナンバー付きのクラスです。
完全におのぼりさん状態の・・・わたし♪
その後
・・・・・・・・・・
近くの飛行場からチャーターした双発機に乗って
ラスベガスへ移動
。
なんて豪華なトリップなんでしょうか
♪
その前年まで・・・以下の様な状況下にありましたので・・・・そりゃ夢のような出来事であったのです
♪
秘密基地以前の自分
https://www.saclam.com/todays/todays_saclam/2019/04/b-2.html
全米のホンダデーラーオーナーを集めてMGMグランドホテルで開催される
コンベンションにこの車を展示して説明員をしてきたのです
。
あれこれと英語で質問されたけれど・・・・身振り手振りを交えて何とか返答していた自分
必死でしたが・・・・・何もかもが間違いなく・・・・憧れのUSAでした
!
この白いCRX
北米仕様のキャブ車を製造ラインから引き抜き、
秘密基地に入庫して、
12バルブ・コンベンショナルヘッド・エンジンに載せ替えたもので
エンジン以外の組立作業は・・・(歳をくってはおりましたが)新人であった私の仕事でありました
。
燃料ラインやハーネスを大改修してインジェクション仕様に変更した訳ですが
前職がBOSCHインジェクション関連の業務でしたから
問題なく完了
。
鈴鹿に持って行ってチームヤマトが走らせていたCRXと比較テストを行った後に
北米向けの船に載せられた訳です
。
そうだ
Dougさんも良く知っている、HGWのKさんがダイナモチェックしてマップを小変更してくれたんです
。
こちらは1985年1月に2回目の渡米をした時の写真で
ウイロ―スプリングスで行われたGRX GT4向けエンジン案の実走テストに立ち会った時のスナップです。
自分は当時31歳、髪の毛フサフサで瘠せ形のスリム体系でありました。
右の人物はスペシャル・プロジェクトチームのボスで
バイキングの血を引くDIX
。
アメリカンホンダで2番目に採用された社員です。
エンジンの腰下周りはほぼSTD・・・・オイルパンはノーマルでウェットサンプ。
高速コーナーでは油圧チェックランプが点灯していたという報告が有りました
。
こんなプロジェクトに関わっていた事も有るアルコール中毒一歩手前の楽しい人物でした。