2019年1月アーカイブ

水曜日

 

母が他界して3年が過ぎました

 

自宅から300mほどの所にある・・・誰も住んでいない実家の内部

・・・・

そろそろ良いかなと思い・・・・整理作業を開始しています

 

結構な作業となりますし・・・・・粗大ごみの分別場・・・・日曜日はお休みですため

・・・・・

昨日も休みを取って・・・リサイクル・ボランチィアさん達や・・・・・古本屋さんに来てもらったり

・・・・・・・・・

粗大ごみの処理場まで何回か往復

 

大分片付いてきました

 

3年間開いていなかった2回の水道蛇口等は・・・・・バルブが固まってしまってるのでしょうか

・・・・・

開いても水が出てきません

 

家も車も・・・使っている方が・・・・・良いのでしょうね

 

そんな訳で・・・・会社を留守にしてしまう事も・・・・ございます

ご了承ください

 

**********

 

 

 

 

 

 

NJ50

 

MAXIM EX-MANI 装着作業が完了しましたので

近所を一回り確認走行してきました

アクセルを踏み込んだ時のルロルロ音が消え・・・・シルキーシックスの様に滑らかな鼓動になりました

 

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BODY SHOP KAMIMURA

 

3時過ぎ

出来たてホヤホヤのビート用マフラーを積んで

カミムラさんまで納品に行ってきました

 

 

デモ車に装着していただきます

 

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この方が広報活動してくれて

https://www.saclam.com/todays/todays_saclam/2018/06/post-2169.html

DSC_1846gg (5).JPG

 

 

 

 

カミムラさんの心が大きく揺れているときに・・・・白豆さんが注文を取ってきてくれました。

https://www.saclam.com/todays/todays_saclam/2017/11/post-2069.html

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深谷ネギの賄賂も・・効果が有ったようですが

・・・

・・

皆さん・・・・・・・・・営業活動・・・・・ありがとうございます♪

 

 

 

 

という事で本日

・・・・・

なんと・あの・・・・・ボデイショップ・カミムラさん・・・・・・が

SACLAMパーツ取扱店となってくれました

 

http://kamimura.onamae.jp/

 

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この画像の4名が・・・・誰であるか・・・・判りますか?

 

1名: まあ・・ふつう・・・です。

2名判別: 常連さんか・・・・ビート乗りさんですね!

3名判別: だいぶ変態ですね・・・あなた!!

4名判別: ちょいとおかしいんじゃないですか・・・・ちみ!!!

 

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あれこれ

 

駄々っ子 987

昨年度から続いているオイルセパレータ(ブローバイコントロールバルブ)の交換作業が

ようやく終わりまして

(( 狭い空間でのリスキーな作業に少し慣れてきました。))

・・・・

これでしばらく様子を見ようと・・・思っていた訳ですが

・・・

 

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数日後の駐車場に

盛大なるオイル漏れの痕

!!

 

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犯人は誰だと思い・・・・辿ってみたら

・・・

 

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この子でありました

 

 

軽く目視した限りでは

PS系統にオイル漏れの痕跡は無く

・・・・

エアーフローメーター近くの吸気パイプ継ぎ目付近にオイルで濡れた跡発見

 

この辺りにブローバイに含まれているオイルが溜まる・・と言う情報が有ったので

また時間の出来た時に

開けてみる事にしようと思います

 

慣れない車の修理は・・・大変だわ

・・・

 

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NJ50

 

相次いでスカイラインクロスオーバーが入庫しています。

 

 

 

以前サイレンサーを装着させていただいた

オーナー様から

MAXIM EX-MANIンp装着作業を依頼されました

 

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交換には8時間ほどかかりますため・・・1週間ほどお預かりしての作業いたします

 

純正エキマニが外すまでが・・・少々大変なのであります

 

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もう一台のNJ50

 

サイレンサーキットを装着するために

日本海側より・・・・吹雪の東北道を抜け・・・ご来社された

クロスオーバーさんです

 

 

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雪道走行直後のリヤユニットには

・・・・・

 

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雪道を一回走行されただけなのですが

後輪の跳ね上げる水しぶきが直撃するリヤユニットには・・・・・・・積り固まってしまった融雪剤がこびり付いておりました

 

走行直後であれば

ホースで水をかけるだけでも・・・洗い流せます・・・・ので

・・・

ステンレス製とは言え実行お願いいたします

 

 

DSC_1774dd (2).JPG

 

 

ALTO WORKS

 

ワカゾウ君が・・・・次の騒音テストに向け・・・・進めている試作作業

ですが

 

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大分・・・市販品らしい形に・・・なってきました

DSC_1830sss (2).JPG

 

 

 

 

 

 

 

Doug Petersonからの写真 07

      MINI

 

This batch of photos covers rebuilding and modifying the 1980-1981 blue car for the 1984 season incorporating rules changes the SCCA made and four photos of Comptech's years with Renault.

 

これらの写真は1980~1981年に使ったブルーカーを、SCCAの新規定に合わせて1984年向けに作り直した時の物だよ。

 

 

 

Mike Kearney asked me to race the Mini again for the 1984 season and I agreed.

 We stripped the chassis to bare metal and made modifications allowed by SCCA rules changes.

 I am welding something.

 We added dual master cylinders with a balance bar and removed interior sheet metal no longer required by the rules.

 

 

Mikeが「1984年には再びミニに乗らないかい?」と誘ってくれたんだ。

車体から余計な物をベアメタルの状態になるまで剥ぎ取って

SCCAの規定変更が許すところまで改造したのさ。

 

自分で何かを溶接してるとこだね?

 

デュアルマスターシリンダーとバランスバーを装備したし、

車室内の鉄板を取り払ったんだよ。

 

 

 

 image 5bb.jpg

 

 

 

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We had to add ballast to meet minimum weight so we bonded and riveted a 1/8" thick  aluminum sheet to the underside of the floor for added stiffness.

 

課された最低重量までウエイトを積む必要が有ったので

車体剛性を高くするため

厚さ1/8インチのアルミ板を接着剤とリベットを使って床下に装着したんだ

 

 

(( 制限重量より軽く出来た分は床下に厚めのパネルを貼って低重心化に貢献。))

 

 Image 7bb.jpg

 

 

 

 

Mike decided to paint the car yellow . The  structural work  and coil over shocks and springs can be seen.

 

Mikeが黄色に決めたんだ。

車体の構造とコイルオーバーショックが見えるだろ♪

 

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The rear suspension showing the new disc brakes and the cockpit adjustable blade type swaybar.

 

後輪周りには新しいブレーキと運転席からリモートコントロールできるブレード式のスタビライザーバーが見えるね。

 

 Image 9bb.jpg

 

 

 

 

 

Car almost ready with updated engine installed.

 

新しい仕様のエンジンを装着して完成間近の車だね。

 

 

 

 Image 12bb.jpg

 

 

 

 

I qualified third behind Duane Davis in our old Le Car and Jim Dentici  in a Honda Civic at the SCCA Runoffs.

 

Runoffの予選では 以前自分の使っていたLe Carを操る Duane Davis と Civicの Jim Dentici に次いで予選3番手だったよ。

 

 Image 13bb.jpg

 

 

 

 

The Mini was so fast in the corners and good enough on the straight that I was able to pass Dentici on lap two and Davis on lap three to win the GT5 race.

 

Miniはコーナリングが優れていたし、ストレートでも充分戦えたんだ。

 

2週目にJimを抜き・・・三周目には Davis さえ抜き去りGT5レースに勝つことが出来たんだ!

 

 

 

This win meant more to me than my previous wins because it was in a car that should not have beaten those two cars. It was unfinished business after the DNF in 1981.

 

 

この勝利・・・自分にとっては以前の優勝より意味のある事だったんだ。

それはね

その2台の車には勝てないだろうと思われた・・・・ミニでの勝利だったからさ♪

 

 

 

 

 Image 14bb.jpg

 

 

 

 

 

Posing with the car.

 

ポーズとってるところだね♪

 

 Image 15bb.jpg

 

 

 

 

 

 

Hi Uno san,

 

Sorry to do this to you but I found some additional photos of the 1984 Mini rebuild. You do not have to use all of these photos if you don't want to.

 

 

追加してしまって悪いけれど・・・1984年にリビルトしたMINIの写真が見つかったんだ。

別に全部使わなくてもいいんだけれどね♪

 

 

 

Image #1

Closer look at front suspension. You can see steering rack link coming through the fender well because the rack is in the interior and the large tubular front swaybar.

フロントサスペンション周りの近接写真だよ。

ステアリングラックが室内側に有るので、これににつながるリンクはフェンダーウェルを通して出ているし、太い中空スタビバーも見えるだろ。 

 img063ss.jpg

 

Image #2

View of the back of the car showing the fuel cell, batter box, the fire bottle for the fire system and the cable for the driver adjustable rear swaybar.

後周りの写真には、フューエルセル、バッテリーボックス、消火器、リモート式のスタビバーが見えるね。

 img064ss.jpg

 

Image #3 & 4

We upgraded the front brakes with 10" vented rotors and 4 piston Wilwood calipers.

フロントブレーキは10インチのベンチレーテッドローターに変え、ウィルウッドの4ポッドキャリパーを装備したのさ。

 img065ss.jpg

 

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Image #5

The rear brakes were upgraded from drums to a disc setup with 2 piston calipers.

リヤはドラムからデスクに変え2ピストン式のキャリパーを装備したんだ。

 img067ss.jpg

 

  

 

I forgot to mention that we machined 4 bolt steel center main caps to help stabilize the crankshaft. I will also try to get more engine information and photos.

 

注釈を入れるのを忘れていたね。

4ボルト式のセンターキャップはクランクシャフトの動きを抑える為だった。

さらに写真送るね♪

 

 img068fff (1).jpg

 

 

 

 

I will start working on the tube frame Mini photos this week.

 

 

 

Doug

 

 

 

Doug san,

 

Thank You very much. 

 

 

 

 

 

Doug Petersonからの写真 06

 https://www.saclam.com/todays/todays_saclam/2019/01/doug-peterson06.html

 

 

Doug Petersonからの写真 05

https://www.saclam.com/todays/todays_saclam/2019/01/doug-peterson-05-1.html

 

 

Doug Petersonからの写真 04

https://www.saclam.com/todays/todays_saclam/2019/01/doug-peterson-04-1.html

 

 

Doug Petersonからの写真 03

https://www.saclam.com/todays/todays_saclam/2019/01/doug-peterson03.html

 

 

Doug Petersonからの写真 02

https://www.saclam.com/todays/todays_saclam/2019/01/doug-peterson02.html

 

 

Doug Petersonからの写真 01

https://www.saclam.com/todays/todays_saclam/2019/01/doug-peterson01.html

 

 

 

 For Old Boys CAN-AM 01

https://www.saclam.com/todays/pictures_from_doug/2019/01/-for-old-boys-can-am-01.html 

 

  

 

 

 

 

 

 

 

 

FK2 加速騒音テスト

 

本日の午前中

定休日ではありましたが・・・・テストコースが借用できまたので

・・・・

FK2を持ち込んで

あれこれとテストしてきました

 

DSC_1727ggg (6).JPG

 

第一作目とは似ても似つかぬ排気管になりつつありますが

・・・・

音質に関して理想値には達しておりませんが

・・・

だいぶ良くなってきました

 

騒音計測しながら解析ソフトを駆使して

その場でも常に考えながら・・・車を走らせています

 

DSC_1727ggg (7).JPG

 

 

 

加速騒音計測時に騒音計のマイクを通じて収録した通過音がこちらです。

FK2 加速騒音 DSC_1727.wav

 

 

下記のグラフは・・・その時のオシロ波形

10コマが・・・・1秒間になります

 

 

DSC_1727ggg (4).png

 

 

01: 加速騒音計測区間に進入した辺り

 

02: 計測区間の中間を抜けた辺り

 

03:加速騒音計測区間を抜けた直後で・・・アクセルを抜いた辺り

 

DSC_1727ggg (5).JPG

 

 

 

 01

加速騒音計測区間に進入した辺りのパワースペクトル

 

綺麗な倍音~5倍音が立ち上がりつつあります。

 

DSC_1727ggg (1).png

 

 

02

計測区間の中間を抜けた辺りのパワースペクトル。

 

この辺りが一番きれいになってほしいのですが

少々雑味が混じります

DSC_1727ggg (2).png

 

 

03

 加速騒音計測区間を抜けた直後で・・・アクセルを抜いた辺りのパワースペクトル

アクセルを閉じた際に発生する

ボフッと言う音が原因で・・・500hz以上が跳ね上がり・・・騒音値も上昇いたします。

・・・・・

まあ・・・500hzを何処かでカットすれば・・・・済む事です

 

DSC_1727ggg (3).png

 

 

02グラフに気になった事が有りました

 

赤マーク 1 は排気バルブの開く周波数。

赤マーク 2 は その2倍音、  赤マーク 3 は3倍音

きれいに出始めてきましたが

・・

赤と赤の中間に有る・・・青印が・・・・・4気筒が均一な排気音を・・・・・奏でていない証でして

不均一な排気ポートに起因しているのではないかと思われる2気筒成分の音が

混じっているようです

何処かで妥協しないと・・・いけないかもしれません・・・・・FK2の排気音

 

 DSC_1763gg.JPG

 

ALTO WORKS

 

こちらの車にも試作品を組込んで・・・・・・・テストコースに持ち込みテストしてみました。

 

DSC_1727ggg (8).JPG

 

 

素直で心地よい音でありました♪

刺抜きが必要ですけれど・・・・・。 

DSC_1727ggg (5).png

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

あれこれ

 

Z33

大変お待たせいたしました・・・・1月予定分の5キットが・・・・・・・・完成いたしました♪

 

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本日までに3キットが売約済で・・・・残りは2キットとなりました。

 

DSC_1743kk (1).JPG

 

 

 

 

DC2 TYPE R

 

北米のお客様から製作依頼が有りまして・・・・・・1年前にポンコツDC2-98Rを購入し

その車を直しながら

排気管開発を行って来たのですが

・・・

この程

ようやくその最終形一歩手前の試作品を完成させることが出来ました

。 

 

DSC_1743kk (3).JPG

 

この車

Lo-Vtec から Hi-Vtec への切替わり時

・・・

排気音落差が大きする事と

床下のトンネルが浅く・・・・容量の小さな中間ユニットしか・・・使えないことが

開発上の難点でありましたが

・・・

その炸裂音コントロールに・・・・・・・・・・・・ようやく成功いたしました

 

輸出用に製作した排気管ですが・・・・ご要望いただければ・・・・・・・国内販売も致します

 

ご希望の方はSACLAMまでお問い合わせくださいませ

 

DSC_1743kk (5).JPG

 

 

 

 

 

 

 

 

 

元気いっぱい!

 

 

20代半ばのオーナーさんが

SACLAMサイレンサーを装着するために

入庫されました。

 

 

DSC_1677hh (2).JPG

 

 

あれこれお話してみたら

・・・・・

時々

スーパーバイクをサーキットに持ち込む事もされているご様子

 

100馬力オーバーのバイクですから

50年前に私の乗っていた空冷ツーサイクルツインとは比べ物にならないほどの

性能である筈

 

救急車乗った事ありますか?

お尋ねしたところ

・・・・

(( 私はバイク事故で2回ほど乗りました。))

・・・

サーキットでバイクを全損したことはありますが・・・救急車には乗った事がないとの事

 

 

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 飛ばし過ぎには充分ご注意くださいませ

 

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Doug Petersonからの写真 06

 

 

Comptech

1979年、相棒のDonを誘って、Doug はコンプテック と言う名の会社を立ち上げた。

 

 

 

 

 

1981

 

During the 1981 runoffs week, B. Clar of Renault Racing approached Comptech about building and racing a Renault Le Car in the same class that the Mini raced in.

 A Le Car won the race in 1980 and properly prepared would be very competitive.

 

 

1981年・・・RUN/OFFに遠征した時に、

((コンプテックと言う会社を起こしてから3年目です。))

ルノー・レーシングのB.Clar氏から・・・Miniでエントリーしている同じクラスで

 

Le/CarベースでGT4レースカーを作ってみる気はないかな?」

 

と・・・・・誘われたんだ。

 

Le Carは1980年に優勝していたし、とても競争力が高かったのさ

 

 

 

As an owner of Comptech, I was trying to expand the business and saw a relationship with an automotive manufacturer involved in racing as a positive step, so accepted the Renault offer.

From a business point of view this was not a hard decision to make; from a personal point of view it was difficult because of the relationship Mike and I had built up over the past few years.

It turned out to be a career changing decision for me.

 

コンプテックのオーナーとして、業務領域を広げたかったし、

自動車レースに積極的な自動車メーカーと関係を作るのは良いステップに思えたので

ルノーからの申し出を受けたんだ。

 

ビジネスという視点でとらえれば難しい決断ではなかったけれど、個人的な視点では悩んだよ。

 

数年間かけて培ったMikeとの関係を

自分のキャリアのために自分で放り投げちゃう訳だからね。

 

 

 

*******注釈******** 

MikeさんとFortech Racing に関しては以下のページをご参照ください。

https://www.7ent.com/pages/fortech-racing.html

 Michael Kearneyさんと Steve Maxwellさんが始めた・・・MINIのレースショップ&専門店。 

******************

 

 

 

 

1982

 

We built a Le Car with parts supplied by Renault including a fully developed race engine and gearbox. The car was like the Mini - a tube frame car in a bodyshell. We qualified on the pole and won the GT4 class at the Runoffs in 1982.

 

ルノーがレース用のエンジンとトランスミッション等の部品類を供給してくれて

 

我々がLe Carを作ったんだ。

 

その車は、MINIの時と同様、ボデイ構造の中にチューブフレームを組込んだものさ。

 

1982年のRun Off GT4クラスでは、この車でポールを取ってレースでも優勝したんだ。

 

 

 

 

image 1bb.jpg

 

 

 

 

 

1983

 

SCCA introduced a new class for cars 1300cc and under called GT5 for 1983.

 We rebuilt the engine with smaller pistons and sleeves to reduce the size from 1400cc to 1300cc.

I upset Renault by qualifying on pole by 3.5 seconds at the Runoffs and also won the race.

 

 

 

1983年、1300以下の車のためのGT5と言うカテゴリーが出来たんだ。

そこで

エンジンの排気量を小さくするために小さなピストンとスリーブを使って

1400㏄から1300㏄へと改造したのさ。

 

Run Offの予選では、2番手に3.5秒の大差をつけて・・・・・ルノーの面々をびっくりさせたんだ。

もちろんレースも勝ったね

 

 

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1984

 

In 1984 the SCCA allowed tube frame chassis in the GT 3,4&5 classes.

 Comptech built a tube frame Renault Encore (The car Renault wanted to promote at the time).

 We started the chassis on September 1st and finished it in time for one quick test at Sears Point before towing to Atlanta, where I qualified on the pole position but finished second due to an engine misfire.

 

 

1984年、SCCAはGT3,GT4,GT5のクラスで

チューブフレーム・シャシを使う事を許可したんだ。

( 完全なパイプフレームカーの事。)

 

コンプテックはチューブフレーム構造のRenault Encoreを作ったんだ。

( その時ルノーはこの車をプロモートしたかったんだ。)

 

9月に製作を始めて・・・・シアーズ・ポイント(シスコの北に有るレースコース)でサッとテストして

アトランタまでトレーラーに載せて引張って行ったんだ。

 

ポールポジションを取ったけど・・・レース中にミスファイヤが始まってしまい

2位に終わったわけだ。

 

 

 

 

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The Renault Encore chassis and body on the Road Atlanta track for a magazine photo shoot.

 

雑誌の取材で

Encoreの シャシ と ボデイを Road Atlanta のコース上に並べて・・・写真撮影。

 

 

***********注釈**********

この頃から許されるようになった・・チューブフレームシャシです。

((パイプで組み立てたシャシに、純正のボデイパネルを被せます。))

 おそらく35年後の今でも、誰かがどこかのローカルレースで走らせていると思います。

*********************

 

 Image 4bb.jpg

 

 

 

 

 

 

 

 

Uno san,

I found this photo while looking for Mini photos.

In 1979, we started Comptech and did not drive at SCCA Runoffs.

  I attended the runoffs and helped a west coast competitor with his Datsun B210.

Attached is a picture of me wearing a datsun t-shirt pushing the car.

 

Doug

 

 

 

ミニの写真を探していた時にこの写真を見つけたよ。

 

1979年はコンプテック社を立ち上げたので、Runoffには出場しなかった。

 

Runoffでは、

西海岸地区でB210で競り合っていた競争相手のお手伝いをしたんだ。

 

ダットサンのTシャツを着てその車を押しているのが

僕さ

 

 

 

 img243nnn.jpg

 

 

 Doug san

 

You look so young!

 

 

 Uno

 

 

 

 

 

 

以下バックナンバーです。

 

 

Doug Petersonからの写真 05

https://www.saclam.com/todays/todays_saclam/2019/01/doug-peterson-05-1.html

 

 

Doug Petersonからの写真 04

https://www.saclam.com/todays/todays_saclam/2019/01/doug-peterson-04-1.html

 

 

Doug Petersonからの写真 03

https://www.saclam.com/todays/todays_saclam/2019/01/doug-peterson03.html

 

 

Doug Petersonからの写真 02

https://www.saclam.com/todays/todays_saclam/2019/01/doug-peterson02.html

 

 

Doug Petersonからの写真 01

https://www.saclam.com/todays/todays_saclam/2019/01/doug-peterson01.html

 

 

 

 For Old Boys CAN-AM 01

https://www.saclam.com/todays/pictures_from_doug/2019/01/-for-old-boys-can-am-01.html 

 

 

 

黒の NismoさんからのE-MAIL

 

 

 

 

U~さま

 

 ご無沙汰しております。   Z34nismo黒の◎★です。

 

(最近の写真添付あり)

 

 

(( お久しぶりです♪ ))

 

DSC_4639aaaa.jpg

 

 

 サクラム管+マキシム装着から一年半が経過した愛機は、かわらず絶好調にキレイな音を奏でていますよ。

  そして、いつも today's SACLAM を通勤の友として楽しみに拝見しております。

(昨年より、また凸凹に呼び戻されましたが、それでも片道90分の電車痛勤です)

 

(( Today's SACLAMが・・・通勤電車内での・・・・・雑誌替わりなのですね♪ ))

 

 

 

 

 本日、Z34nismo白の入庫報告を拝読し、久々にメールいたします。

 開発や注文処理など多忙な日々をお過ごしのことと思いますが、コーヒータイムの一服としてお読みください。()

 

 

 実は、装着後の半年間程度(走行距離で7千㎞程)だけのことですが、少しだけ気になっていたことがあります

 

(いまさらですみません。あっ!いまは既に解消してますので、心配いりませんが...)

 

 

  トンネルなどで全開で踏み込んだ快音の後、速度を抑えるべくアクセルオフ状態にすると、微かにですが、ギャン、ギャン、ギャンと...振動音のような、想像ですが何かが当たるような干渉音が回転数3500以下に下がるまで続く状態がありました。

 

 その後、半年程度で異音は聞こえなくなりましたので、なにかが、振動で干渉していたのかもしれません。

 

 やがて、音がしなくなった(あるいは、私の聴力の衰え?)ということからも、エキパイ装着後の何かと何かの微妙な隙間が影響していたのかなぁ?

、シロウトとして想像し、いつか宇野社長にレポート報告しなければと思いつつ、月日が流れてしまいました。

  

 

 

***************

念のため

リフトアップして点検確認いたしましょう

 

お暇な時にでもご入庫ください

**************

 

 

 

 ...ついつい前置きが長くなりましたが、

 

 

 

 

Z34に、サクラム管+マキシムは素晴らしい管楽器です!」と全国のZ34ファンに言いたい!!

 

さらに、

「装着から一年半経過しても、濁りなく澄んだ素晴らしい高温を奏でており、

後輩のポルシェ乗りご本気で乗り換えを検討しているほどです!」

とお伝えしたく、メールしました。

 

 

 

 (( E-MAIL・・・どうもありがとうございました♪ ))

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

For Old boys

 

 

 

10代の頃のDoug さん自身が撮影した・・・・・古いCan-Amレース・・・・・の写真類を多数送っていただきました。

 

60代以上のOSSAN達には懐かしく楽しい写真ですため

独り占めするのは勿体ないと思い

Doug さんの許可をもらって下記のページにアップロードいたします

 

1960後期~1970前期に大人気だったCan-Amチャレンジの雰囲気を感じることの出来る

貴重な写真です

 

こちらのページに掲載を始めますのでお好きな方はクリックしてみてください♪

https://www.saclam.com/todays/pictures_from_doug/

img171dd.jpg

 

 

ND向けMAXIM EX-MANI

 

NDロードスターのオーナー様よりご依頼をいただきまして

MAXIM製EX-MANI + SACLAM製SILENCER

セット装着させていただきました

 

https://www.saclam.com/todays/stock_part/2018/05/nd-maximsaclam.html

P5221689.JPG

エキマニとサイレンサーの装着作業におおよそ4時間かかりますので

その間オーナー様には

 

お待ちいただく か どこかに遊びに行って

いただいております。

 

ちなみに今回のオーナー様は

上野まで美術鑑賞に出かけられました

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DSC_1546aaa.JPG

 

サーキット走行を楽しまれるオーナー様ですので

マフラーの揺れ防止及び吊ゴムの抜け防止用に以下の部品類も装着させていただきました。

 

https://www.saclam.com/todays/todays_saclam/2017/03/nd-5.html

DSC_7715.JPG

 

 

エンジンルーム内はプラスチック製部品で溢れています。

全開走行直後の停止時にはエンジンルーム内の温度が急上昇いたします

 

この様な場面では

ボンネットを開きエンジンルーム内が過熱しないように対処されたほうが

その後の耐久性に良かれと思います

 

それでは

サウンド・ドライブをお楽しみください

 

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工作室

 

ND ROADSTER

 

大変お待たせいたしました。

1月予定分の10セットを組立中です。

来週初めに梱包出荷させていただきますのでしばしのご猶予をお願いたします♪

 

既に9キットが予約済となりまして・・・残りは1キットとなりました。

ご希望の方はお早めにご連絡ください。

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NC 1/2

大変お待たせいたしました!

組立て作業を開始たしました。

 

DSC_1505aswer (14).JPG

 

 

 

 

Z33

大変お待たせいたしました!  組み立て作業開始いたしました!!

ご予約いただきました皆様向けには・・・来週前半に出荷させていただきます♪

 

DSC_1505aswer (13).JPG

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

Z34 NISMO

  

Z34 NISMO さんが入庫されました。

 

10年前は毎月何台もの入庫が有った Z34・CKV36 系の車両ですが

最近めっきりと減ってしまいましたね

 

DSC_1505aswer (4).JPG

 

 

日産車の排気系ネジ類はオーバートルク気味に締め付けられていまして

気を付けてはいても工具を滑らせてしまう事がございます

 

今回も一つやってしまいまして・・・すいません・・・・・30分ほど余計に時間を費やしてしまいました。

 

DSC_1505aswer (1).JPG

 

 装着させていただきました排気管は

こちらのセットでございます。

 https://www.saclam.com/todays/stock_part/2016/11/-z34-nismovernismo.html

 

弊社製品の中でも・・・Z34加速騒音規制対応品の開発期間は・・・・最長なのでありまして

いじくり回した分

良い物に仕上がっております

 

DSC_1505aswer (2).JPG

 

Z34系車両の走り去り音を聴くのは久々

・・・・・

(( 自画自賛ではありますが・・・))

冷たい空気を吸い込んで・・・・軽く加速してゆく時の高周波が・・・とても綺麗でありました

 

 

全ての機種の開発作業に置いて・・・・レベルの排気音を目標に・・・・メイクアンドトライを重ねておりますが

なかなかこのレベルには達しないのです。

 

プライマリパイプが不等長の純正エキマニから MAXIM社製のエキマニに交換しますと

深く踏み込んだ時の音の濁りが静まり

さらに理想値に近づきますので

・・・

半年後のご装着を是非ともご検討ください

 

DSC_1505aswer (5).JPG

 

 

Z34NISMO と言う車

エンジンや足回りなどに関しては

欧州のスポーツカーたちに負けないほど良い車なんです

・・・・・

率直に言ってしまいますが

残念ながらその純正エキゾーストサウンドが・・・彼らに対して圧倒的に色気が不足しているのです

 

 

そのような訳でありますので

・・・

純正状態維持波が大多数の

Z34 NISMO あるいは Ver.ニスモ オーナーの皆さん

おかれましても

弊社製の排気管装着をご検討いただきたいのです

 

 

 

 

 

 Z33/34系排気管の開発ストーリーは

こちらをご参照ください

 https://www.saclam.com/todays/todays_saclam/2018/06/-asmoem-z33hr-saclam.html

 

 

 

 

Doug Petersonからの写真 05

  

ENGINE

 

1977

 

I spent a month at a friends shop in Los Angeles running on his dyno.

 Back then good ignition systems were not readily available so I modified a Chrysler crank fired system using a mag pickup off the front of the crank.

 

 

1977年

 

 

ロスにいる友人の工場にエンジンダイナモが有って、それを一月の間みっちり使わせてもらったんだ。

その頃は良いイグニッションシステムが無かったから、クライスラーのクランクシャフト・ピックアップ式点火システムを改造して装着したのさ。

 

 

 

 The Mini engine likes lots of compression and advance if it can be controlled accurately.

 We were using stock connecting rods polished and shot peened with re heat treated bolts.

 Pistons were made by Venolia in Long Beach.

 

ミニのエンジンは高い圧縮比と、正確なコントロールさえ出来ればの話だが、大きな点火進角が

有効だったんだよ。

 

 

*******注釈*******

 

 掃気の良い4バルブヘッドとは異なり、デッドエリアの多い当時のバスタブ形状の燃焼室ですから

残留燃焼ガス量が多くて・・・EGRされた時の様に・・・・燃焼が遅かったのでしょうね。

おまけに細い吸気ポートだから充填効率も高くはないでしょうから

普通のレースエンジンよりも・・・高圧縮比 と 早い時点での点火

必要だったのでしょう。

 

*****************

 

 

 

 

We tried different cam profiles along with offset rocker bushings and rocker shaft towers.

 Roller rockers were not legal.

 The diameter of the cam follower limited cam profiles so the offset rockers allowed more options.

 

いろんな種類のカムプロファイルと、オフセットロッカーブッシュ、シャフトタワーとの組合せをテストしたんだ。

ローラーロッカーを使う事が許可されてなかったからね。

 

 

カムフォロワーの径が小さいので、組み合わせるカムの形状に限度が有ったのさ

だから

オフセットローカーが役に立ったのさ。

 

(( Uno: Doug san、what did you mean offset rocker bushings? ))

 

(( オフセットロッカーブッシングって・・・・・・・・・何だい??))

 

 

Shows rocker assembly with solid spacers between rocker arms instead of standard springs.

 

ロッカーアッセンブリーを見てくれ

ロッカーとロッカーの間に・・スプリングじゃあなくって・・ムクのスペーサーが入っているだろう。

 

IMG_2688bb (1).JPG

 

 

 

Shows a stock rocker arm and the offset bushing we installed in the arm to increase the rocker ratio for additional valve lift.

標準のロッカーアームとオフセットブッシュを見てくれ。

バルブリフトを増やしたくてねロッカーの比率を変えるために使ったんだ。

 

 

To keep the tip of the rocker in the correct position over the valve stem, we machined rocker shaft pedestals to move the shaft the same amount away from the valve.

We also reprofiled the curve on the rocker arm tip.

In 1979 roller rockers became legal.

 

ロッカーアームのチップ部分をバルブに対し正しい位置に保つため、ロッカーシャフトの台座を機械加工して矯正したのさ。

それにプラスしてロッカーのチップ曲面を作り直したんだ。

1979年はローラーロッカーの使用が許されていなかったからね。

 

 

 IMG_2688bb (2).JPG

 

 

 

IMG_2688bb (4).JPG

 

 

 

 

 

We tried 3 into 1 and 3 into 2 into 1 headers of different sizes and lengths.

 The best was 3-2-1 with a larger center pipe.

 I think we ended up with around 125 horsepower on an old school dyno.

 

様々なパイプ径やパイプ長で 3-1 レイアウトや 3-2-1レイアウトのエキマニをテストしたのさ。

 

ベストの仕様は3-2-1レイアウトでセンターパイプ径を大きくしたものだったね。

 

エンジンダイナモを用いたこの時のチューニングで

125馬力まで出すことが出来たよ。

 

 

 

EN 40B crankshafts were hard to get by 1978, so we had Gordon Allen in England supply a crank for the runoffs and it broke during the race!

 

 

1978年の当時EN40Bクランクシャフトの入手は困難だったので

英国のGorldon Allenに製作してもらったんだが

レース中に壊れてしまったんだ

 

 

********注釈*********

 

EN40B:クロム・モリブデン系の窒化処理用材料。

 

*******************

 

 

 

 

 

 

The main engine components for 1977, 1978, 1980 and 1981 were very similar with camshaft and cylinder head changes the main areas of development.

 

 

1977年、1978年、1980年及び1981年のエンジン仕様はほぼ似たような物だったさ。

カムのプロフィールとヘッドの変更が改良作業のメインだったね。

 

 

 

 

We only had access to a dyno in 1978 in L.A. and then at Comptech for 1984. 

Our early engine development was done at the race track! (Old school!).

 

 

ダイナモを用いた開発テストは1978年に実施した上記の一月のみで、その後1984年にコンプテックで行っただけだよ。

始めた頃はねレースコース上で開発テストを行ってたんだ。

 

(昔はそうだったよね♪) 

 

 

 

 

 

  1984

 

Many hours were spent on Comptech's dyno.

This picture was probably taken late at night.

 

コンプテックに導入したエンジンダイナモで随分とテストを続けた

下の写真は多分深夜に撮影した物と思う。

 

 

Looks a little sleepy. 

 

ちょっと眠たげなDoug. 

 image 10bb.jpg

 

For 1984 we decided to devote time to engine development.

 We began working with Richard Longman in England on cylinder head development.

 

1984年はエンジン開発を推進することにしたんだ。

英国のRichard Longmanにシリンダーヘッドの開発を頼んだのさ。

 

 

 

 

 

 His relationship with British Leyland allowed him to inspect and select castings best suited for porting.

 On our flow bench the cylinder heads showed a big improvement.

 

Britsh Leyland繋がる彼は、ポーティング加工に最適な鋳物素材を選別する事を許された人だったのさ。

Comptechの流量試験器上でも彼のヘッドはすごかったよ!

 

 

 

 

 

 Cosworth made pistons for us with a raised piston pin allowing for a longer connecting rod.

We had the rods made by Carrillo that resulted in a lighter and stronger combination.

The longer connecting rod helped reduce rod angularity and friction. Roller rocker arms were allowed which helped along with continuing camshaft development.

 

コスワースがより長いコンロッドと組み合わせるためにピン位置を上方に移動したピストンを作ってくれてた。

そして

キャリロ社にコンロッドをオーダーし、結果として軽くてて丈夫な物を手に入れる事が出来たんだ。

 

上記の結果

コンロッドの振れ角が減少した事でフリクションを減らすことが出来たね。

 

ローラーロッカーアームの仕様が許可されたので・・カムシャフトの開発も続け無ければならなかったけどね。

 

 

 

The engine finally produced 138 HP.

 

最終的に138馬力を達成したんだ。

 

 

 

 

 

 This compared to 163 HP our 1300cc Renault made the year before.

 We were very happy with the results since the Mini was much lighter and smaller.

 

これはね

前年に作ったるの1300エンジンの163馬力に比べて

とても良い数値だと思ったんだ・・・・MINIはより小さく軽かったからね

 

 

 

 

I was able to gear the car to run to 9200 RPM at the bottom of Road Atlanta's dip.

 This dip was at the end of a very long straight where the Mini would manage 118 MPH compared to the Nissans 136 MPH.

 

Road Atlanta の下り坂で、9200rpmまで達することが出来たよ。

 

この下り坂は長いストレートの終わりに有って

MINIは118MPHに到達したんだ・・・・日産は136MPHだったけれどね。

 

 

 

 

 Top speed did not change much but acceleration was better as was elapsed time on the straight.

 

 最高速自体はそれほど上がらなかったけれど

加速が良くなり直線の通過時間は削減できたね。

 

 

 

 

 

 

 

Old fashioned manual control water valve and throttle. But it worked!

 

古典的な水動力計用で・・・水とスロットルは手動コントロールさ。

でもちゃんと測れるんだよ♪

 

 

 

 image 11bb.jpg

 

 

 

I finally found an engine photo showing the steel 4 bolt center main cap. In later versions we only used the upper  half of the thrust washer.

 

 

ついにエンジンの写真を探し出したぞ♪

 

4ボルトに改造したスチール製のセンターキャップさ!

 

この後に作ったセンターキャップはね・・・・・・スラストワッシャ部分を上半分だけにしたんだ。

 

 

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Very early 2 bolt steel main cap from1976.

We ran 4 bolt main caps from 1977 on. (Like the photo I already sent).

 

ごく初期の2ボルトタイプのスチール製キャップだよ。

1976年の物さ。

 

1977年からは4ボルトの物にしたんだ。

 

 

IMG_2688bb (3).JPG

 

 

 

I found more engine photos.

 

 We made these changes in1984 before the SCCA runoffs

 

Shorter, lighter piston with pin moved up. We used full floating pins with Teflon buttons.

 

 

 

また有ったよ♪

 

1984年Run Off の前にいくつかの変更を入れたんだ。

 

ピストンを短く軽くして・・・ピン位置を上に上げた。

 

フルフローチィング・ピンとテフロンボタンも使用した。

 

 

(( Doug san,  what is Teflon button? ))

 

 

Because of the offset connecting rod there was some minor bending of the rod under the compression and combustion strokes.

 

コンロッドがオフセットされているため圧縮工程や膨張行程の時に少しだけ曲がるんだ。

 

 

キャリロ社のコンロッド    MINI純正のコンロッド

 img068fff (4).jpg

This bending caused the piston pin to bind and push against the Spiroloc piston pin clips, causing failures. We decided to try a Teflon button (Or disc) on either end of the piston pin.

この曲りがピストンピンをスラスト方向に押す力を生み、プレス打抜ピンクリップを押し付けてトラブルを引き起こすのさ。

 

 

手持ちの写真が有りました♪

 

プレス製のピンクリップ    ワイヤー製のピンクリップ 

画像 039mmm.jpg

 

 

 

This button would rub against the cylinder bore and locate the pin. It worked well.

 

テフロン製のボタンと言うのはね、(クリップを入れないで)ピストンピンの端とすリンダーへしの間に入れて

おくための部品で、思惑通り機能してくれたね。

 

 

 

Doug san, Do you mean like this?

DSC_1533zz.JPG

 

 

 

 

Cosworth suggested we try round wire pin locks and they worked fine with the Carrillo rods, which were stronger than stock rods and flexed less.

 

コスワースから提案が有って、ワイヤータイプのクリップを使う様になった

剛性の高いキャリロロッドと合わせて使うようになっって・・・そしてすべて改善されたんだ。

 

 

Doug

 

 

 

 

 

 

 

 

img068fff (3).jpg

 

 

 

Carrillo H beam connecting rods were longer and 150 grams lighter than stock rods we were using.

 

 Carrillo社製のコンロッドは純正品より150grも軽かったよ。

 

 

 

I found a dyno sheet from October 1984, just before we left for Atlanta. 136.9 horsepower was enough to win the race!

 

1984年10月のパワーカーブも残ってたよ。アトランタに出発する直前の物だね。

136.9馬力優勝するのに十分な数字だったね♪

 

 

 

 

img068fff (5).jpg

 

 

  Doug san Thank You very much photos and text.

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

1月15日

 

Doug peterson

 氏から

1960~1970年代に大人気だった・・・Can-Amレースの写真を大量に送ってもらっています

Thank You Doug san.

 

未だ10代半ばの彼がお父さんと一緒に観戦に行った時の写真でして

なかなか目にする事の出来ない光景が

ここかしこに見られます

 

 

彼の写真を皆さんに紹介するために・・・・別の専用ページを準備中ですので

楽しみにしておいてください

♪ 

"For Old Boys!"

 

 

 

 

この車が判った人は・・・偉い!

僕はこの車のスロットルレーシングカーを持っていた♪

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こんなレースを間近に見てしまった訳ですから・・・・アメフトなんぞに目もくれずレースの世界に飛び込んでしまった

事も

極自然な成り行きだったのかも知れません

 

Who are they?

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工作室 

 

AP1/2

1月分最終組み立て中です。

DSC_1492ggg (1).JPG 

5キット製作していますが

内3キットがASMさん収めとなります

 

SACLAMでも2キット分ずつ即納可能ですから

遠方の方でも発送対応しておりますので・・ご希望の方はお問い合わせください

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ND ROADSTER

 1月分の10キットを製作中で・・・本日現在・・・・未だ2キット余裕がございます

 

何件かお問い合わせが重なっておりますので

この2本につきましては・・・・正式に受注頂きました順に・・・・・・・お引き当てさせていただきます

 

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NCEC ROADSTER

久々に5キット製作いたしますが、内2キットはすでにご予約済で

受注可能数は残り3キットとなっています。

 

在庫が出来ると直ぐに売切れてしまう事の多い商品ですから

ご希望の方はお早めにご連絡ください

DSC_1492ggg (2).JPG

 

1月中旬以降の生産予定品は以下の通りです。

 

Z33 SILENCER : 5キット

R53 SILENCER :5キット

986 SILENCER: 3キット

BEAT SILENCER : 3キット

ZC33S ファーストロット: 3~5キット

 

*********************

在庫情報を更新しました。

https://www.saclam.com/todays/zaiko/

****************

 

 

 

 

発掘調査隊

 

 半年ほど前に

・・・

ホンダファンの常連さんと・・・・骨董車コレクション自慢・・・・していた際に

・・・・

そろそろ手に負えなくなってきた・・・古い半無限仕様CRXの今後について

・・・・・・

如何したら良い物か?

という

・・・

お話がありました

 

 

欲深い私ではありますが

・・・

流石にガレージ内はポンコで溢れていますし

・・

直さなくてはいけない車が何台も溢れておりまして

・・・

(多分死ぬまでかかっても直し切れないでしょう)

・・・

無理

 

 

 

 

そこで

・・・

誰か良い人は居ないかな?・・・・・と・・・考えましたところ

・・・・

そうだ

スコットちゃんが・・・いた♪

 

「最近こんなのを手に入れたんだっ♪」

喜んでたし

・・・

北米の方が補修パーツの入手が容易だし

・・

そもそも北米での無限パーツ輸入元であるし

・・・

車にとってはその方が幸せであろうと

思えたのです

 

qwertfdsa (1).jpg

 

 

qwertfdsa (2).jpg

 

 

「そんな訳で・・・次回来日した時に・・・見に行かない?」

と問いかけたら

 

「Auto Salon を見に日本に行くので・・・その時に連れてってね♪」

と言うお返事がありまして

・・・

今回のツアーとなった訳であります

 

何故だ大所帯なツアーとなってしまいまして

・・・・

アメリカ人: 2人 + カナダ人: 1人 + フランス人: 2人 + 日本人: 2人 

みなさん

強烈なホンダファンでありました

 

で・・・・・現地では・・・飛び入り参加のお医者さんが待ってたりして・・・いろんな言語が飛び交いまして・・・、

 

 

 

DSC_1451ss (4).JPG

 

スコットちゃん・・・一台ゲットすることに・・・・なりました♪

 

おめでとうございます!

 

綺麗にレストアしてくださいね

DSC_1451ss (5).JPG

 

 

 

フランス人の人達が出版したタイプRの本です・・・・とても手のかかった良い内容でしたので

一冊購入しようと思います♪

https://honda-typer-book.com/a-propos-du-porteur-de-projet/

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

明日 1月12日の土曜日

 

明日の土曜日は

発掘調査隊の案内人として・・・・午後から出かけてしまいます

 

従い

土曜日ではありますが

午後は会社にはおりません事ご了承ください

 

 

 

後期型987 異音修理

 

 

昨年10万キロを超えた辺りから

異音を発するように様になってしまった弊社所有の後期型の987ケイマン

 

パワーステアリング用オイルポンプの作動油不足でエアー噛みし

ギュ~~ン

と言う音派手な作動音を発しておりました

 

この音は・・・・オイルを継ぎ足して・・・とりあえず解決

 

エンジンルームにアクセスするために・・・・・・内装をはがしてから何本もネジを緩め・・・・エンジンフードを外さなければならんので

普通のオーナーさんには・・・・PSオイル量の日常点検は・・・・出来ません

DSC_0260rewq (3).JPG 

10万キロオーバーですから・・・自然に滲み出て減ってしまたのか・・・それとも何処からか漏れてしまったのか

追跡調査はそのうち実施してみようと思います

 

これで一件落着と思っていたら・・・・エンジンルーム内から聞こえる・・・新たなる異常音

・・・・

キーンと言う高周波です

・・・

((ジェットエンジンの音にも似てます。))

走っているときには気付きませんが・・・降りてみると結構な大きさなので・・・・ありました

以下に収録してみましたので気になる人はクリックしてみてください。

561short.mp4

MOV0560.mp4

 

 

インターネット上で987径の異音や故障について検索したところ

・・・

987じゃあないけれど・・水冷ポルシェ関連の

オイルセパレーター不良による異音や白煙と言う記事に辿り着いたのです

 

そう言えば・・・・冷間始動時に・・・・毎回では無いのだが・・・・時々白煙を吹く事が有ったのです

 

(( 再現性が無いので・・・不思議に思ってたんだけど・・・・・・・・・。))

 

 

そこで冬休みに

クランクケース内の換気をコントロールしている・・・・このオイルセパレーター・・・・と言う部品を交換してみようと

作業を開始したのです

 

ミッドシップクーペの狭いエンジン整備用の開口部から

やっとこ・さっとこ

(( すごく大変な作業でした。))

この部品を外して・・・・手配してあった新品部品に交換しようと手に取ってみたら

・・・・・

形が違う

!!

 

まあ・・・こんな事は・・・輸入車をDIY整備するときにはよくある事で

・・

ある意味慣れっこになっていて・・・驚きもしないし・・ガッカリもしないのですが

・・

時は既に冬休み

 

しかたないので・・・・原因特定するために・・・分解開始

(( 現品修理できればそれでも良いし ))

 

DSC_1228kk (2).JPG

 

 

疑っていたダイヤフラムには特に異常は見られない

 

そこで・・チェックバルブの入っている・・・・この部分を点検

・・・

 

口を付けて吸ったり吐いたりしてみると

・・・

ワンウェイの筈なのに・・・微かに感ずるエアー漏れ

 

原因はこれかな?

 

DSC_1228kk (5).JPG

 

そこまで追いかけたところで・・・・休み明けまでそのまま放置

DSC_1228kk (6).JPG

 

 

昨日再手配しておいた・・・部品が・・・・無事到着いたしました

 

これで解決してくれると嬉しいのですがね

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加速騒音テスト

 

毎年この時期になると・・・台湾から秘密基地に・・・・お世話になっている皆さんが来られるため

私も朝一番で挨拶に伺うのが恒例になっています。

 

既に20年近続く彼らとのおつきあい・・・。

 

米中貿易摩擦の影響とか・・・・台湾人は中国が好きか嫌いか?

・・・・

踏み込み過ぎない様ちょっとだけですが

ポリチィカルな質問が出来るのも長年の付き合いの賜物でしょうか?

 

(( ちなみに・・・・95%以上の人は・・・・中国に良くない印象を持っているとのことでした。))

(( 私の想像以上に・・・・現在のシナは・・・・敬遠されつつあるようです。 ))

https://www.saclam.com/todays/todays_saclam/2008/04/post-564.html

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新年最初の加速騒音テスト

 

夕刻・・・今年初めの加速騒音テストを・・・実施してきました。

 

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FK2 CIVIC R

 

昨年度からリメイクとテストを重ねているこの車ですが

・・・

鳴きそうで・・鳴き切れてない・・・400hz

 

時々

詰む事のできない詰将棋を指しているのでは無いかな

不安になる時があります

・・・

調音し切れるのか・・・それとも・・・・何をやっても現時点が限界なのか

判断に苦しむこの頃です

 

これが限界なら・・・商品化作業に・・・・・移れるのですが

・・・・

未だ・・良くなりそうに・・・思えるのです

DSC_1419mnhu (1).JPG

 

今回は

フロントサブフレームを跨ぐ部分にお試しの小型ユニットを入れてみました

 

この部分は冷却風も当りませんし・・・・付近には重要な部品類も配置されていますので

小形とは言えサイレンサーを入れたく無い

と言うのが本音です

 

 

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DSC_1419mnhu (9).JPG

 

 

ZC33S

 

真冬の騒音値を確認するためこの車も持ち込みました

 

騒音値は気温5℃の冬場でも・・・・充分安定していました

 

よし・・・・作るぞ!

 

 

1月15日過ぎより助手席試聴をお受けいたします。

ご希望のオーナー様は

事前にE-MAILやお電話などでご予約の上ご来社くださいませ。

 

tel:048-584-7117

E-Mail: info@saclam.com

 

DSC_1419mnhu (2).JPG

 

 

 

 

 

 

青空スタジオ

 

在庫情報を更新しました。

https://www.saclam.com/todays/zaiko/

**********************

 

 

ZC33S スイフトスポーツ用サイレンサーキットの撮影を

してみました。

 

何時もの折畳式卓球台を組合せ

白いカーペットの上に商品を並べ撮影したのですが

・・・・・・・・

DSC_1341hhh (4).JPG

 

この通り綺麗な青空♪

DSC_1341hhh (1).JPG

 

 

従いまして撮影した原画もこの様に青みがかっておりまして

修正を入れてはみましたが

今一

https://www.saclam.com/todays/stock_part/2019/01/-zc33s-single-tail.html

 

くもり空の日に撮り直してみようと思います。

DSC_1341hhh (3).JPG

 

 

工作室では1月分の仕込が始まっておりました。

 

DSC_1341hhh (5).JPG

 

 

 

 

 

 

Doug Peterson からの写真 04

1980

 

In 1978 we had begun building a new Mini chassis that pushed the rules in an attempt to optimize the Mini's strengths of small size, low weight and good handling.

It was basically a tube frame chassis inside the stock body shell using stock components such as the subframes that were required by the rules.

 

1978年には新しいMINIのシャシを作り始めたんだよ。

MINIの強みである・・・小ささ、軽さ、ハンドリングの良さ等を最大限に引き出せる様にルールで許されるギリギリのところまでね♪

 

それはね、ボディの中に(独立した)パイプ・フレームを組み立てる事だった。

ルールで決められていたんで・・・標準のサブ・フレームなど残さなきゃならなかったんだけどね。

 

 

 

 

 I began building a new Mini in 1979 pushing the limits of the SCCA rules at the time.

It was basically a ship in a bottle - a tube frame in a standard bodyshell.

 

空き瓶の中に帆船の模型を組み立てる時の様に

プレス・ボデイの内側にチューブフレームを組込んだんだ。

 

aaa img 7.jpg

 

aaa img 8.jpg

 

 

 

 Coil over spring/shock units were used along with tubular sway bars.

The front suspension geometry was designed using information from our work on the black Mini and took advantage of the latest 13" Goodyear slicks.

 

コイルスプリング&ダンパーや、中空のスタビライザー等を使ったのさ。

フロントサスペンションに関する寸法設定は 黒いMINI と一緒にしたし、進化させるためにグッドイヤーの13"を使う事にしたんだ。

 

  

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Coil over rear suspension.

コイルオーバーサスペンション: ダンパーとコイルスプリングを組み合わせた物の呼び名です。

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I sold the chassis when I started Comptech and fortunately Mike decided to buy it in late 1979 and finish building it.

 

 

1979年、自分の会社( Comptech )を始めるために、(未完成なままの)このシャシを売却したんだ。

でも・・・幸運な事に1979年の暮れにに(Fortchの)Mikeが購入し直してくれてしたんで・・・完成させることが出来たんだ。

 

 

Mike asked me to get involved in finishing the car and driving it for the 1980 season and I accepted.

 It would be nice to see the car completed and see how it performed as well as working with Mike and Steve again.

 

Mike はね、「この車を完成させるために手を貸してくれないか?」と、 そして「1980年にこの車を走らせてほしいんだ。」と言ってくれたんだよ。

 

そりゃ、この車を完成させたかったし、どんな走りなのか知りたいのもあったけど・・・再びMikeやStiveと一緒に働けることが嬉しかったね♪

 

 

 

 

Doug Peterson braizing front fenders himself.

Doug自身でろう付け作業している写真。

 

Q. Brazing fenders instead of welding? Any reason??

何で溶接じゃあなくって・・・ろう付けしてたの?

 

I think I brazed the front sheet metal  just because it was fun to do.

 We had a fluxer that injected the flux into the torch and I was learning to use it.

フラクサーを購入したんで・・どんなものか思い・・・試してみたんだよ・・♪

 

aaa img 9.jpg

 

 

 

 

 

 

 

We began work in December with the goal of competing in the first national race at Riverside in mid February.

There was a lot of work to complete but we got it done and won our first race out with the car.

It was painted a beautiful Imron dark metallic blue with pale blue pin striping.

 

 

12月に作業を始めて・・・翌年の2月中旬にリバーサイドで行われる西海岸地区の初戦出走を目指してね。

やるべき事は山程有ったけど・・・我々はそれをやり遂げて・・・最初のレースに勝つことが出来たんだ♪

 

その車はイムロン社のダークメタリックブルーに塗られていて・・・その上からペールブルーでピンストライプされてたんだ♪

 

 

  

Doug Peterson in high tech spray booth(!) not very healthy!

超近代的な塗装ブースだろう♪  健康には悪いんだけどさ・・・。

( 綺麗なガレージに水を撒いて塗装作業中)

 Uno: I did not know you did paint job!

Doug が塗装作業するなんて・・思いもしなかったよ。 

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 We were (and still are) very proud of the way the car turned out.

 This car became known as "The Blue Car".

 

 

 

僕らは、この車を生み出したことに大きな誇りを持てたし、今でもそう思ってるんだよ♪

 

ブルーカーとして広く知られるようになったね。

 

 

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The only problem was that the Datsuns, Hondas and Renaults had a lot more horsepower than the Mini.

We raced at the runoffs where we finished seventeenth with low oil pressure.

This was not the result we had hoped for.

 

Renault Le Cars finished first and second.

 

問題はね・・MINIよりも・・・・ダットサン、ホンダそしてルノーの方が強力なエンジンを持っていたことだね。

 

 

Run/Offは17位だったよ・・・。 油圧が下がっちゃってね・・・・。 不本意だったけれど・・・さ。

 

ルノーRe Car の1-2フィニッシュだった・・・。

 

 

 

 

 

1981

 

We did not make any big changes for 1981, just fine tuned what we had.

The car was fast and we won all six races we entered to qualify for the runoffs.

 

1981年は大きな変更作業は行わず・・・ファインチューンのみに徹したんだ。

速かったしRun/Offに出場する前のレース6戦に全て勝つことが出来たんだ♪

 

 

Qualifying on the pole for the runoffs was a big thrill but was tempered by a threat from the Datsun drivers to protest the car over our interpretation of a rule regarding engine placement.

 We had rotated the engine forward to help reduce halfshaft angularity for less friction on the CV joints.

We decided to rotate the engine back as we did not think it would be a reliability problem and it would eliminate any legality issue.

 

 

Run/Offの予選でポールを取ったんだ!

大感激したんだけれど・・・・ダットサン・ドライバーの一人に・・・エンジン搭載位置に関する議を申し立てられ・・・喜ぶどころじゃあ無くなってしまったんだ。

 

エンジン(及びトランスミッション)を前傾させ・・・CVジョイントの動作角度を小さくして、駆動ロスを減らすようにしていたんだ。

 

それで、エンジンの搭載閣を元の状態に戻すことにしたんだ。

 

信頼性の問題を引き起こすとは思わなかったし・・・・ルールに適合できると思ったしね。

 

 

 

 

Well, we were wrong.

 

だけどさ、 そりゃ失敗だったね。

 

 

The car ran morning warm up with no problems but on the sixth lap of the race, leading comfortably, one of the axles pulled out of a CV joint in the bottom of the dip on the back straight.

 

朝のウォーミングアップでは問題はなかったんだが、レース中の6週目・・レースを良い調子でリードしてたんだけど片方のドライブシャフトがCVジョイントから抜けてしまったのさ。

ストレートの終わりに有るあの下り坂でね・・・・・。

 

 

 

 

Uno: It was sorry but still lucky that you did not get hurt.

 that area was slightly bent and drop place.

(( 最高速時に片側のドライブシャフトが抜けてしまって・・・良く無事だったね・・・。))

((直線とは言え・・・浅くターンしている下り坂なのに。))

 

 

 In retrospect we should have left the car alone and dealt with the rules interpretation issue after the race.

 

今振り返ってみれば・・・車弄らずはそのままにして・・・レース後の車検での最低を待つべきだったかな?

 

 

We did not finish, but proved that a Mini could run up front which was very satisfying. A Honda Civic won the race.

 

ゴールできなかったわけだけど、ミニが先頭を走れたという事に充分満足できたね♪

 

Jimのシビックが優勝したんだけどさ。

 

 

 

 

( ちょっぴり残念そうなメンバー )

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The other photo is of the wheel fans we copied from the 935 Porsche BBS wheels. We ran them in 1981 thinking it helped keep the front brake and wheel bearing cooler. I don't think it helped much but it looked good!

 

 

1981年に・・935ポルシェ風にホイールファンを作って使ってみたんだ♪

フロントブレーキとベアリングの温度を上昇させないためにね。

絶大な効果は無かったけど・・・カッコ良いだろ♪ 

 

 

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2019年仕事始め

 

 

 

本日より2019年度の業務を始めています。

 

 

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大阪のヨシムラオートさんから・・・年始早々のご注文をいただきましたので

・・・・

活きの良いのを一本・・・本日夕刻初出荷・・させていただきます!

 

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リフト上のDC2

輸出用排気管のレイアウトを確認作業中

・。

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Doug's first Mini

Black Mini

1977 Doug began racing Minis with Mike kearney at Fortech racing.

1977年 Doug はFortech Racing の Mike と一緒にMiniでのレース活動を始めた。

(( Doug この時 25才 ))

注釈

*************************

Fortech Racing に関しては以下のページをご参照ください。

https://www.7ent.com/pages/fortech-racing.html

Michael Kearneyさんと Steve Maxwellさんが始めた・・・MINIのレースショップ&専門店

*************************

Mike Kearney owned the black Mini and asked me to drive the car for him for the 1977 season.

That was a big deal for me because it was expensive.

I helped with engine machine work and setup

.

黒いミニを所有していたMike氏から

「1977年のシーズンにMikeの会社のためにこの車でレースしてみないかい?」

と言う話が有ってね、

そりゃ自分にとって嬉しい申し出だったんだ♪・・・・だって・・すごくお金がかかるんだもの。

エンジンの加工や車体のセットアップなどもお手伝いしたんだよ。

注釈

**********************

自費でレース活動していた25歳の若者が

他の人から 「 この車を使ってレース活動してくれないかい? 」

と誘われたら・・・・プロフェッショナルへの第一歩・・・・・嬉しくないはずはないでしょう!

***********************

We modified the car to run on 13" wheels with a Dunlop tire from England.

The alminium fender flears were fablicated by a Cobra restoration company in L.A.

英国から輸入した13インチのダンロップタイヤ用に車を改造したんだ。

アルミ製のオーバーフェンダーは、LAに居るコブラのレストアラーの手による板金物だったさ♪

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(Doug のテキストより)

We also began to investigate ways to produce more horsepower from the engine.

The A series engine had been raced in various cars for years and was in a high state of development.

もっと馬力を出すための作業も行った

A型のエンジンは何機種かのレースカーに使われていて、チューニングも結構進良いレベルに達していたんだ。

We started with something as simple as ignition timing since the A series was sensitive to detonation but if controlled accurately the engine liked advance.

点火タイミングの様に手短な事から始めたんだ。

A型エンジンはデトネーションに対してセンシチィブなのだけれど

正確にコントロールさえ出来れば・・・点火時期をどんどん進められたんだ。

注釈

*****************

古典的なディストルビューターを用いた点火システムでは

角気筒毎点火時期のバラつきや機械部分のバックラッシュが集積されて

緻密な点火タイミングの維持が

出来なかった様です。

****************

Chrysler had come out with an electronic ignition system which used a magnetic pickup that triggered off of a wheel mounted to the crankshaft. We made parts to adapt the system to the Mini which gave very accurate timing and allowed us to run more ignition advance safely.

クライスラー車に使われ始めた点火装置は、クランクシャフトに直結された円板とマグネットピックアップで

トリガーする方式だったんだ。

それで

安全に点火時期を進めるために、より正確な点火時期制御を期待できるこのシステムを

改造を加えてMINIのエンジンに載せたんだ。

注釈

***********************

今時のエンジンとは異なり・・・気筒毎の充填効率や空燃比が均一ではない5ポートヘッドを持つ

クラシック・ミニのエンジンですから

・・・

吸気量  空燃比  点火タイミング

のそれぞれを

均一化することが大切だったのでしょうね♪

************************

We also investigated cylinder head porting, piston design and quality rod bolts for reliability because the engines needed to be run very hard to even be close to the faster cars in the class.

ヘッドのポート加工やピストンの形状、そしてコンロッドボルトの高品質化等に力を注いだんだ。

同じクラスのライバルたちと互角に戦うためには・・エンジンを酷使せざる得なかったからね。

The rules allowed the radiator to be moved from the standard position on the side of the engine compartment to the front of the car.

The more direct air flow improved engine cooling which was always a big problem previously.

ルール上許されている範囲だったので

エンジンルームサイドに配置されていたラジエターを前面に移設したんだ。

これで走行風がらじ得体に当るようになり・・・・悩まされていたエンジンの冷却不良から開放されたね♪

We began running split Weber carburetors, using one barrel of two carburetors to achieve a straight path through the manifold to the intake ports of the cylinder head.

This allowed for more accurate tuning of the air/fuel mixture, helping power and reliability.

スプリット方式で2個のサイドドラフトキャブレターを使い始めたんだよ。

2バレルのウェーバーキャブの片側を殺しシングルバレルにして

シリンダーヘッドの2個しかないインテークポートのそれぞれに・・・・ストレート・ランナーを通じて

2つのキャブから空気とガスを

送り込むんだ。

この配列で

より正確な空燃比設定が出来る様になり・・パワーと信頼性を上げることが出来たのさ。

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using 13" wheels allowed the use of 10" brake rotors and Girling calipers.

13インチホイルに変えたので・・・10インチのブレーキローターとガ―リング製の(アルミ)キャリパーを装備できたんだ。

In 1977 we raced twice with 10"x6" wheels then changed to 13"x6" wheels.

The only low profile tire at the time was a Dunlop imported from England.

1977年は最初の2レースだけ10インチホイルを使い、その後13インチに変更し

英国から輸入したロープロファイルのダンロップ製13インチタイヤを使ったんだ。

The compound was not as good as Goodyear, but it allowed us to learn what we liked and didn't like about changing wheels.

We ran the car with standard suspension pickup points for the year even though it was not good.

タイヤコンパウンドがグッドイヤーに見劣りしてたけれど

だけど・・・それは・・・結果として

ホイルサイズについてのメリットとデメリットを学ぶ機会になったのさ♪

この年を通じてサスペンションアームのピックアップポイントは標準位置のままだったから

快適じゃあなかったけれどね

(( 未だラバーコーン使ってますね!))

((Rubber corn sus!))

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We qualified for the runoffs and finished in fifth place behind four Datsun B210's.

With generous support from Datsun, the B210 had been developed into a very fast car and had won every runoffs race since 1974. The Mini was not the obvious car to choose if the goal was to win the national championship since Road Atlanta was quite fast with a long straight. A good Mini could reach a top speed of 118 mph compared to a B210's 132 plus mph.

The Mini's advantage was lighter weight and, if well developed, better handling and braking.

1977年のランオフでは4台のDatsunB210 (サニーの事です)に続いて5位でゴールすることになった。

日産の積極的なサポートを受け続けてB210達は開発され続けていてとても速かったし

1974年からこの年(1977年)まで連勝していたんだ。

ロードアトランタと言うレースコースは・・・・長い直線を持つ高速コースなので

ここで行われる全米選手権(Run Off)に勝つことのみを目的とした場合には

MINIを選択するのは適切では無いんだよ♪

長いストレートの終わりに・・・・・一番スピードの乗る・・・・・・・下り坂が有って

・・・・・

速いB210達は132マイルにも達していたんだが・・・・MINIは118マイルがやっとだったね。

Mini達の良い点は車重の軽さと

(良くチューニングされている場合に限るけど)ハンドリングとブレーキング性能だね。

注釈

***********************

機種毎にキャブレターのベンチュリー径制限や最低車重の制限が有りまして

ドライバーがどの機種を選んでレースしても・・・もおおよそ同じくらいのラップタイムで走れるように

レギュレーションで調整されていますし

毎年そのハンヂィキャップ調整が行われます

従い・・・直線の遅いMINIですが・・・・最低重量を軽く設定されてましたから・・・・・・加速力は対等

そして・・・コーナリングやブレーキング時には

アドバンテージもあり得るのです

余談ですが

1985年に

このコースにケータハム7を持ってきたOSSANが・・・・我々のCRX GT4の隣で整備していたけれど

「空気抵抗が大きく・・・直線で抜かれっぱなしですよ。」

って

笑ってましたっけ♪

************************

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In 1978 I plotted the front suspension points on paper (No computers!)

and it was bad in the stock position.

The camber gain and roll center moved all over the place!

1978年・・・自分でフロントサスペンションの作動ポイントを紙に製図してみたんだ。

(まだ・・コンピュータじゃないんだよ。)

で・・・標準のピックアップポイントじゃあ全然ダメな事を確認したんだ。

キャンバー角の変化 や ロールセンター位置が安定しないんだよ。

We came up with a solution that worked well by moving the chassis pickup points up 3.5 inches with the stock suspension arms required by the rules.

そこで・・こんな風に解決したんだ!

フロントサスペンションのボデイ側の取付ポイントを3.5インチずつ上側に移動させたんだよ。

(( Doug san,do you mean like these? ))

(( Doug  こう言う事かな?))

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The lower arm and the tension rod were modified for rod ends to adjust caster and camber.

The steering rack had to be mounted in the interior of the car to get the bump steer correct.

The rack ends went through holes in the fender wells!

ロアーアームとテンションロッドはピロー式に改造してキャスターとキャンバーが調整できるようにしたんだ。

ステアリングラックは室内に移動して・・・ステアリングロッドは穴を通じてナックルに繋げたんだよ。

バンプステアを直したかったしね♪

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Also Firestone came out with a low profile (21" dia.) 9.5" wide tire that fit a 6" wide wheel that we used.

It was much better than the Dunlop tire.

この年ファイヤーストーンが6インチ幅のホイールにフィットする外径21インチで9.5インチ幅の扁平レースタイヤを発売したんだ。

これはダンロップより・・・・ずいぶんと良かったね♪

注釈

**************************

リム幅のみが規制されていたSCCA独自るーでしたから

北米のタイヤメーカーは細いリムに履くための

幅広スリックを開発していました。

日本人では考えつかないアメリカ人的で大胆な手法ですが

CRXでの比較テストでは・・・2秒速かった!

A は普通スリックタイヤ     B は SCCAGTクラス用の特製タイヤ

DSC_1314sss.JPG

******************

I think the suspension geometry and tire changes combined to make the car a little faster but more important, more consistent over a 45 minute race.

サスペンション周りの改良作業によってラップタイムを少し削り取る事が出来たんだけど

もっと重要だったのは

45分間のレース中を通じてコンスタントにラップ出来る様になった事さ。

Engine improvements continued throughout the year with small improvements in cylinder head porting showing gains along with revised camshaft profiles.

By this time the EN40B crankshafts were difficult to come by so we had crankshafts custom machined by Gordon Allen in England.

1978年は一年を通じてエンジンのチューニングを続けたんだ

ポートの形状微妙な変更と合わせてカムプロフィールの改善が有効だったね♪

この頃 EN40B クランクを手に入れられなかったので

英国のGordon Allen 社に削り出しのカスタムクランクをオーダーしたんだ。

We showed up at the runoffs hoping to have reduced the gap to the Datsuns but ended up not finishing the race due to a broken crankshaft. It was very disappointing since it was a brand new part.

そして・・・ダットサン達との差を縮めるべくRun・Offに出走したんだけれど

・・・

途中でクランクシャフトが壊れてしまって

ゴールできなかったんだ。

そりゃ~ガッカリしたよ・・・・だって・・・新品のパーツ組んだのにさ・・・・。

This photo is from the 1978 Runoffs using the 9.5" Firestone tires

9.5インチ幅のファイヤーストーンタイヤで走る78年のアトランタ。

注釈

****************

右の白い車は Jim の操る King Motorsports の SB1 CIVIC で

Mugenエンジン付だと・・・思われます♪

 

******************

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勝手が違います。

 

ポンコ車の整備作業とBLOG のまとめ書きに没頭していたので・・・8日間の冬休みなど

・・・・

あっと言う間でした

 

MINIの整備作業は初めてなので

すごく苦戦しています

 

排気管と吸気周りの部品を交換するだけなのに

・・・

えらく時間をかけています

 

インチネジとメトリックネジが混在していたり・・・狭いところに工具を入れなきゃいけないし

・・・・

国産車なら1日で済むところですが

 ・・・

未だ・・・終わらない

・・

 

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このセンターメーターだって

取り外すのにはえらい苦労を強いられましたし

・・・

・・

未だこの車に慣れるまでには

至っておりません

 

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ワカゾウ君担当のインジェクションMINは

昨日

起動確認

済みました

 

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こっちの方がいろんな部品がゴチャゴチャと配置されていて

整備しずらい筈なのに

・・・・・

・・・

・・

負けてしまったよ

 

 

DSC_1317ff (2).JPG

 

 

 

 

 

 

 

 

(from Doug's Text) 

In 1973 I had travelled to England and purchased a Mk1 Ford Escort to race in 1974 and spent the winter preparing it for the SCCA C Sedan class.

I did manage to qualify for the runoffs and finished fourth in the C Sedan race.

 

1973年の冬、英国に行き・・・1974年に使うFord Escort Mk.1 購入したんだ。

そして・・その冬・・・SCCAのC・セダンと言うカテゴリーにエントリーするための準備をしたのさ

10月のRun Off では予選を通過し・・・決勝レースで4位に入賞したよ。

 

I raced this Escort finishing 4th in 1974, 6th in 1975 and 4th in 1976 in the pouring rain. 

 74年に4位、75年は6位 そして76年は豪雨のファイナルで4位だったよ。

 

(Uno)

Why did you go to England to buy a car?

 

 何で英国まで・・・車を買いに行ったの?

 

 

 

(Doug)

I was already going to England with Dave Rugh to buy English Ford race parts to sell in the U.S.

 I found out about the car just before I left so borrowed the money for the car!

 

Dave Rogh氏に付き添って・・・・・北米で販売するための英国製フォードレースパーツの買い付けに・・・英国に行ってたんだ

 

 帰国するちょっと前・・・・・その車と出会ってしまって・・・・・借金して購入したのさ。

 

 

 Not a good idea to borrow money for a race car!!

借金までしてレースカーを買うなんて・・・・良いアイデアじゃあ無かったけどね♪

 

 

aaa img 2.jpg

 

 

 

I honestly do not remember why I didn't just race a Mini from the start. I already owned the two Mini road cars.

 

その時2台のMINIを所有していたと言うのに、何でMiniで始めなかったのか

・・・・・・・・

よく覚えてないんだ

。 

 

今も持ち続けている・・・・・父上から譲り受けた・・・・・1967年COOPER-S。

雨の少ないカリフォルニア・コンデションで・・・ピッカピカ♪

 IMG_1433mmm.JPG

 

 

 

 

 

 

 

 

 (Uno)

 I have heard from your Mother that you were not interested in American football but had big interest in cars.

 Was it true?

 

 君のお母さんから、

「アメリカンフットボールにさえ全く興味を示さず・・・・・車一辺倒の子だったわ♪」

と聞いたことが有るけれど

 ?

 

(Doug)

I always was interested in cars from a very young age.

 My father took me to races when I was 13 years old.

 And yes, I had no interest in football!

 

子供の頃から・・いつも車の事で頭が一杯。

13才の時に父さんが自動車レースを見せてくれたんだ♪

 

だから・・・・フットボールには興味は向かなかったね・・・。 

 

 

 

Attached is a picture of me in 1966 at 14 years old in front of Carroll Shelby's factory in L.A.

The GT40 behind me had won Le Mans in June 1966.

My father took me down during a vacation!

 

 

この写真は

14歳の時(1966年)にLAに有ったキャロルシェルビーの工場の前で撮った物でね、

後ろのFORD GTは1966年のルマンで優勝した車さ

 

父さんが休みの日に連れて行ってくれたんだ

 

 

 

 

89340001fff.jpg

 

 

 

 

(Doug) 

I just started watching some football on TV the last few years.

 I still do not understand the rules!

 

.

最近アメリカンフットボールのTV中継を見るようになったんだけど

・・・・

未だに・・・ルールが・・・判らないんだよ

♪ 

 

 

 

 

 

from Finland

 

半年ほど前にフィンランドからE-MAILをいただきました

 

S52b28 エンジンをDIYチューニングして・・・・303ps/6850rpmまで行ったのだけれども

・・・

まだ満足しておらず

・・・

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ピークパワーを7500rpm辺りまで上げたいし

・・・

さらに

2400~3000rpm近辺でトルクの谷を感じるので

改善する手立てを探しているとの事

   

 

写真などを送ってもらいましたところ

・・

丸い筈の排気ポートは

36M3 用のS50エンジンの様に楕円ポート化され

・・・

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吸気系は36M3 用の物にそっくり交換されておりました

 

もちろんフルコン制御ですよね

20180614ddd (3).jpg

 

 

 

 

とりあえず弊社製エキマニのスペックをお知らせしておいたところ

・・・

数日前にフィンランドから写真が送られてきました

 

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ここまで来るのは・・・大変だったんだろうなと・・・おもいます。

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薄肉の曲げパイプが・・・手に入らなかったんだろうなと・・・思われます。

(( 何でも手に入る日本の環境に感謝しなくてはいけませんね。 ))

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  Good job ♪

 

 

 

 

 

 

あれやこれやと・・・・・ポンコ車達に・・・・手を出してしまい

・・・

どれもこれもが・・・中途半端な状態に・・・陥ってしまった

最近の私です

 

この子を何とかしなきゃいけないのに

・・・

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何故だかクラシックミニたちで一杯の

倉庫

???

 

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先ずは

・・・・・・・

MINIたちの整備を完了させるべく

・・・

付き合いの良いワカゾウ君と二人で・・・・・冬休みの期間・・・・・ポンコ車の整備

をしています

 

 

 

 

当面の目標は

緑号をリフトから下ろして

青い67Cooper-Sの・・・・・・・フロアパネル交換作業に必要な場所を・・・・・確保する事

いたします

 

Doug 氏 及び H氏 お勧めの

マニフロー製

エキマニ

 

DSC_1247asdfgh (3).JPG

 

H氏研磨済の

MINI SPORTS 製

インマニ

装着するのが・・・私のミションなのですが

・・・

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ボルトオンでポン付け出来る国産パーツとは違って

結構大変

 

エキマニとメカポンが近すぎるので撤去

電磁ポンプ化しましょう

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ガスケット類は手直にあったボール紙から

切り出し

(( 古い車をいじくる時には・・・素材のガスケット・シート用意しといた方が・・良いかもしれません。 ))

 

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厚手の純正ワッシャ径を旋盤で調整したり

マニフォールドをやすりで削ったり

・・・・・・

ピリピリしながらやる作業じゃあありませんで

・・・・・・・ 

大らかな気持ちで・・・ゆったり進めるのが・・・よろしい様です

 

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 1984年の夏

秘密基地に入社して半年後・・・・・夏季休暇の前日に・・・・社長室に呼ばれ

(( なんだろう??と・・・・・・思っていたら・・・・ ))

・・・

・・

大親分から

・・・・・・・

「ちみ・ちみ・・・アメリカにに行く気・・・有るかい?」

・・

問われたのでありました

 

そして

・・

「夏休みが終わったら・・・返事して下さいね。」

・・

 

Just before 1984 Summer vacation, I was called by my boss and asked

that

Did you want to  go to America in certain period ?

 

 

 

予想外のお話でしたから・・・ちょっぴり面喰いましたが

・・・

・・

我々の世代は・・・・・ダパンプのUSAと言う曲の歌詞に・・・・・表現されている様に

(( 音楽ではなくって・・・自動車等に関してですが ))

https://www.youtube.com/watch?v=sr--GVIoluU

 

・・・・

アメリカと言う国に・・・・とても強い憧れを持っていた・・・・・世代ですから

・・・・・

・・・

その場で

・・・

・・

「 行きます! 」

・・

即答してしまったのは・・・当然の事でありました

!!

 

 Because it was an unexpected story,

I was slightly eloquent.

 

But

Young people of that era, had a strong longing for America.

 and  I was one of them.

 

I answerd Ofcause Yes!

 

 

そんな訳で

日本のレース界さえろくに知らぬまま

(( この時の8年ほど前にレースメカニックのアルバイトをしたことが有っただけです。))

私は

1985年の1月から・・・・1988年中盤まで

3年半と言う期間を

・・・

(普通じゃない)アメリカ人達と一緒に仕事することになったのであります

・・・

 

 In such circumstances,

I had spend three and harf years there with unuseal Americans.

 

 

 

 

Today's SACLAM に 時々出てくるアメリカ人たちは

その時に関わりを持った人たちでして

・・・・

今でも時たま・・・(10年ぶりとか)不定期にですが・・・コンタクトできていることが

財産なのであります

 

Americaus who come out sometimes in Today's SACLAM are people with a relationship at that time,

and it is my preasure

that

even now it is sometimes to keep in touch.

 

 

 

 

さてさて

・・・

11月に鈴鹿で開催された SOUND OF ENGINE のために来日した

Doug Peterson 氏

その中の一人でありまして

 

Doug Petersn who came to Japan last Novemver, for attending Soun Of Engine at Suzuka, was one of them.

 

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・・・

・・

1985~1988年くらいの事は・・・お互い仕事でかかわっていましたから・・・・大体わかっているつもりでしたが

We know eahother around 1985~1988, but not know well before that or after that.

 

それ以前・・・や・・・・その後の・・事については

断片的にしか

知らなかったのであります

 

 

 

最近クラシックMINIにはまりつつある私ですので

MiniのスペシャリストでもあるDoug氏に

・・・・・

・・・

Doug Peterson  と 彼のMINI や 彼の関わったレースの事を

・・・・

私のBlogで紹介させて欲しいと依頼したところ

・・・

大量の写真と文書が送られてきたのです

 

 As I  recenly got into the classic Mini,

(It is cute car!)

I asked Doug that I wishd to know his Mini and Its story for me and for my customer

 who was looking in Today's SACLAM.

 

 

そんな訳で

今後何回かに分けて・・・・Doug Peterson からの写真

と題して

紹介して行こうと思います

 

So, I would like to introduce photos from Doug Several times.

 

 

Doug san Thank many photos!

 

 

 

 

 

1971年

Doug はこの時 19歳

ジョージア州のアトランタで行われる

RUN・OFF

( 全米クラブレーサーのチャンピオンを決める決勝レース)

Dave Rugh氏のチームクルーとして参加したのが

レースを志す切欠だったそうです

 

 

In 1971  I crewed for Dave Rugh who raced a C sedan Ford Escort Mk 1 and attended the SCCA National Championship Runoffs held at the Road Atlanta track in Georgia.

 Attending that race inspired me to obtain a racing license and begin racing myself.

 

 

 

ある時

 彼のお母さんから

「車に夢中で・・・フットボールに全く興味を示さない・・・・変わった子供だったのよ♪」

聞いたことがありますので・・・レースの世界を目指すことになったのも・・・・当然の事だったのでしょう

 

 

1973年

21歳の時 SCCAのレース・ライセンスを入手するために

SAERS POINTで開催されたライセンス講習会に

自分のフォードで参加した時の写真です

When I turned 21 I attended SCCA drivers school at Sears Point Raceway and

after completing the school, ran the required six regional races to qualify for my SCCA national license, which I received in February 1974.

At that point my goal was to run enough races to qualify for the runoffs in November at Road Atlanta.

 

 

 

 

My drivers school in 1973 in a Ford Anglia. 

 

UNO「なんでこの車だったの?」

DOUG「安かったからね♪」 

Q. any reason for why Anglia? 

A.  I chose the Anglia because I crewed on an English Ford Escort Mk.1 in 1971 and 1973 and parts were reasonable. The car was also very cheap!

 

Q. Sears Point?

A.  My drivers school was at Sears Point in March of 1973. Good guess!

 

 

その後この地区で行われるローカルレースにレースに6回出走し

ナショナルライセンスを入手した

Dougは

・・・

翌年のための準備を開始したのです

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2025年4月

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